すべての人の主 2013年7月7日 巻頭言

聖書 使徒の働き 10章34~43節

私たちは、使徒の働きの中から、コルネリオという百人隊長が、主を受け入れ、バプテスマへと導かれる経緯を、10章、11章にわたって、実に詳しく知ることができます。なぜなら、いままで、ユダヤ人にしか、御言葉が届いていなかったのが、異邦人として、初めて、御言葉を聞き、聖霊が注がれ、世界中へとキリスト者が広がっていく記念すべき出来事を記しているからです。

そこに至るには、まず使徒として、召命を受け、豊かな賜物をいただき、力強く御言葉を語るペテロが、まず主に出会い直し、悔い改め(メタノイア)なくてはいけなかったのでした。彼は、ユダヤ教の律法の中で、申命記(10:17)に記されたように、神は人を偏り見ない方であることを、知っていても、その思いが、異邦人にまで、及ぶとは、考えることができない中にいたのでした。主は、幻の中で、まず律法で、食べてはいけないと決められた食べ物を食べるように促されます。「主よ。それはできません。」と応答を繰り返すとき、「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」との声を聞くのです。次に、遣わされた三人の人と、一緒に出かけて行くようにと示され、異邦人コルネリオとの出会いへと導かれていくのです。コルネリオも、また主の導きと促しの中で、ペテロとの出会いが実現したと聴かされる時、ペテロは、驚きの中で、「神様は、人を分け隔てなさらないことが、実によく分かりました。」と、語り出すのです。

実際に、私たちも人間は平等で、差別はいけないと、十分に知りながら、自分のこと、家族のことに及んでくると、この世の基準に沿って、人を評価して態度を変えてしまう所があることを、知っているのです。その人の過去や、経歴という先入観で、人を評価していないだろうか? 絶えず問い続けることによってのみ、主イエス・キリストからいただく自由と解放の中で、喜びの関係性になっていくのでしょう。