ナザレ人イエス 2014年5月25日 主日礼拝

 

聖書 マタイの福音書 2章19~23節

旧約聖書には、一度も登場してこないナザレは、都エルサレムから100km以上も離れたガリラヤの小さな町です。エジプトから幼子とその母を連れてイスラエルに戻ってきたヨセフは、主の使いの警告によって、ローマ直轄の手の及ばないガリラヤへと退いていき、ナザレという町に住んだといいます。ヨセフは、何度も夢に現れてきた主の使いによって、立ち上がっていきます。マリアを妻として迎え、エジプトに逃避行、さらにイスラエルの地へと戻ってくる時も、主の使いの言葉に従っていったのでした。聖書には、ヨセフの言葉は、一言も記されていませんが、これほどまでに、主の言葉に従った人はいないと感じるのです。

 

ユダヤの教えに従う人々は、復活のキリストを覚えて礼拝する人々を、ナザレ派と呼び、異端として捉えている時期がありました。使徒パウロは、「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。」と紹介されていたことが、記されています。マタイの福音書の著者もナザレ派として呼ばれていたことが考えられます。ですから、マタイが記す「ナザレ人」には、イザヤ書の救い主メシアの預言に見る「若枝」を重ねていたことが伺い知れるのです。

 

しかしそこには、ガリラヤの小さな町から出てきた教え、すなわち田舎者という軽蔑した思いが見え隠れするのです。 成人した主イエスにむかって、「ナザレから何の良いものが出るだろう?」、あるいは「メシアがガリラヤから出るわけはない」と、揶揄される場面を見るとき、地域による偏見は、今も昔も変わっていないように感じるのです。主イエスは、社会的に差別され、偏見の中にいる人々と共に、その生涯を過ごされました。 彼らは、アム・ハ・アレツ(地の民)と言われ、律法主義社会の中で、病気や貧しさ、職業のために、罪人というレッテルを貼られた人々であったのでした。