バプテスマのヨハネ 2020年9月27日 主日礼拝

聖書 ルカによる福音書 7章24-35節

新約聖書の4つの福音書、その全てがバプテスマのヨハネの存在を丁寧に描きます。特に著者ルカは、このヨハネの出現は、なぜ神の御子イエス・キリストがこの世に遣わされる前であったのか?主イエスの言葉を通して語りかけようとしているのです。

「来るべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」と二人の弟子たちは、獄中のヨハネの伝言を携えて主イエスのもとへと来訪してきました。主イエスは直接の回答を与えずに、「行って見聞きしたことをヨハネに伝えなさい」と促して、預言者イザヤの言葉と重ねていくのでした。彼らが立ち去った後に、主イエスは群衆に向かって喜びをもって語りだすのでした。

そこにいた群衆の中には洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた人々がいたことでしょう。主イエスはヨハネを預言者以上の者と称え、女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいないと語るのでした。まさにヨハネは、預言者によって預言され、救いの道を備える役割を与えられた最後の特別の預言者であったのでした。主イエスはヨハネのバプテスマには神の御心が現わされていると示すのです。一方で、主イエスが始められた神の国を担う人々がいかに恵みをいただいているかをも示されるのでした。

ヨハネからのバプテスマを拒んだファリサイ派の人々や律法学者たち対して主イエスは、子どもたちの婚礼ごっこに踊ることなく、葬式ごっこでは泣くこともなく、自分で動こうともしない態度を鋭く問うのでした。 彼らは、バプテスマのヨハネや主イエスが語る福音に耳を傾けることなく、その態度を批判し攻撃することで、自分たちの正当化を示していくのでした。

主イエスは現代社会に生きる私たちへ、礼拝の中で観客席に座って批判的な態度になっていないか?と、問われます。神の喜びを神の悲しみを分かち合いつつ、神の国に参与して、再び来てくださる主イエスの出来事を指し示していきたいものです。