最も小さな者の一人にしたのは 2020年11月29日 世界バプテスト祈祷週間礼拝

宣教 田中明子 聖書 マタイによる福音書25章31-46節 (録音なし)

マタイによる福音書24章と25章は、イエス様の遺言に当たる部分だと言われています。いよいよ十字架につけられていくイエス様が、弟子たちに 「目を覚ましていなさい」 と言って、委託した働きが語られていくのです。その最後に、「天の国」 のイメージとして話してくださったのが、「十人のおとめ」と 「タラントンのたとえ」と言われる二つのたとえ話です。 今日は 「タラントンのたとえ」から学んでいきたいと思います。

1タラントンは現在の価値で6,000万円。主人が僕に、各々1タラントン、2タラントン、5タラントンを預けて旅に出た後、かなり日が経ってから戻ってきて、清算をするというお話です。2タラントン、5タラントンを預かった僕はその額を倍に増やしていたため、「僅かなものに忠実だった」「主人の祝宴に入りなさい」と、主人から褒められます。1タラントン預かった僕は地中に隠して保管していたため、「この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ」と言われてしまうのです。

不思議な会話ですが、聖書の主人は神なのだということを土台に考えれば、1・2・5タラントンは神にとって僅かな金額。そして神は厳しいお方なのです。しかし神は、救いの道を準備してくださいました。それがイエス様の誕生です。私たちはイエス様を通して神に祈り、イエス様は私たちのためにとりなしの祈りをしてくださいます。しかしそれは、私たちが地上に居る間に何をしたかが問われているというのです。

イエス様が再び地上に来られる日、私たちは裁かれます。その時、イエス様のとりなしはありません。地上で何をしたか。「最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである」とイエス様から言われる者になりたいものです。 ここにもう一つ、大切なキーワードがあります。良い行いをしたから救われる、のではないということです。救いはただ主の恵みによるのです。「主よ、いつ私たちはそのようなことをしましたか?」。右の手のしたことを左の手に知られない生き方をしたいですね。