最初の教会会議 2013年10月13日 主日礼拝

聖書:使徒の働き 15章6~11節

現代の社会生活は、いたる所に会議があり、教会も例外なく、会議が行なわれています。本日の箇所では、聖霊の働きによってできた教会の代表が集まって、最初の教会会議が行われたことが記されています。はじまりは、異邦人が信仰に入るには、律法を守るべきと教えた人々と、パウロとバルナバの激しい対立と議論が起きたことでした。そこで、使徒たち、長老たち、教会の代表が一同に集まって、救われるための律法の必要性について、エルサレムにおいて会議を開催することになったのでした。そこにおいても、激しい論争があったと、聖書は記します。

「論争」という言葉のルーツをたどると、「探し求める」となります。何を探し求めるかが、問題になるのです。人は、その与えられた状況の中で感じ、考えるのですから、違った思いを持つことは、当然のことです。また、教会が議論によって、感情に亀裂が入るのを恐れて、人々の意見の違いを押さえ込んでしまうことがあるとしたら、そこにも大きな問題が潜んでいるのでしょう。神様の御旨が行われるために、祈り求めつつ開かれる会議であってほしいと願うのです。

この会議によって、イエス・キリストの福音が、ユダヤ人だけのものになるか、全ての人々に、告げ知らされるものとなっていくかの分かれ道とも捉えられます。 多くの文明や人種が交わり、ユダヤ人は、その一割でしかないアンテオケにある教会と、生粋のユダヤ人が大半をしめたエルサレム教会との議論は、終わりようもない状況でした。しかし、生粋のユダヤ人、さらに主イエスの一番弟子と言われるペテロが、立ち上がり、「兄弟たち」と語りだすのでした。ペテロにとって、主イエスを見捨て、三度も知らないと言った自分は、律法によるものではなく、恵みによってのみ救われたことを、体験していたのでした。だからこそ、救われるためには、何の差別もなく、神はその人の心に働きかけ、きよめてくださる方であると語るのでした。