水をくんだ者 2013年9月22日 教会組織記念礼拝

聖書 ヨハネの福音書 2章1~11節

わたしたちは、教会組織を覚えて、2009年(10年目)より、毎年、9月の第4週に、記念礼拝を行っています。 教会組織とは、いままで佐世保教会の伝道所だったが、独り立ちして、相浦光キリスト教会として、全国の諸教会に、自ら申請し、認めていただいたことを現します。 伝道開始から32年目の出来事として、本当に大きな喜びであったことと思うのです。その時に、教会の骨組みとなる、信仰告白や、教会規則が、作られたのでした。 そのために、信徒会や、多くの講師を招いての勉強会が行われていた様子でした。 一人ひとりの教会員が、自分自身の時間を用い、思いを語り尽くした時でもあったことと思うのです。 この経験は、バプテスト教会となっていく貴重な時間であり、ひとつの教会で、一回しか無いことです。

本日の聖書の箇所は、イエスさまが行われた「最初のしるし」といわれる所です。イエスさまが行われた多くの「しるし」の場面において、それを物語として受け止めるか、あるいは自分自身が、その場面の登場人物になるかで、大きく違ってきます。それは、教会員として、どんな教会生活を送るかとも、同じような捉え方になると、言えるでしょう。

ガリラヤのカナで行われた婚礼の、裏方で起きた大事件を、イエスさまの言葉どおりに、手伝いの人たちは、自分たちの体を用いて働き続けるのです。 「水がめに水を満たしなさい。」の言葉どおり、井戸まで水を何度も汲みにいく手伝いの人たちの目には、次々と水がめがいっぱいになっても、水は変わらないままなのです。それでも、なお次の水がめを満たすために、また井戸に向かうのです。 全ての水がめがいっぱいになったとき、イエスさまの声が届きます。「さあ、今くみなさい。」 彼らは、宴会の世話役の所へと、運んでいくのです。 ぶどう酒になった水を味わった世話役と違い、水をイエスさまと共にくんだ者だけが、その喜びと祝福の本当の意味を知ることができるのです。