皇帝に上訴した男 2014年2月2日 主日礼拝

聖書 使徒の働き 25章23~27節

パウロが、監禁され、伝道活動が閉ざされた状況の中で、2年間もの時間がすぎていきました。しかし、主イエス・キリストをメシア救い主として信じる人々は、衰えるどころか、ますますと広がっていく気配を感じさせました。 対抗するユダヤ人グループは、パウロを、一刻も生かしていけないと、新たに、州総督に着任したフェストに訴えます。 裁判の中で、パウロは弁明します。「もし、死罪に当たることをしたのなら、死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが、私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。(11節)」後に、ローマに到着して、パウロ自身が、「ローマ人は、私を死刑にする理由もなかったので、釈放しようとしたが、ユダヤ人が反対したために、私はやむなくカイザルに上訴したのです。」と振り返って語る場面です。

しかし、この上訴によって、ユダヤ人たちは、手を出せなくなり、ローマの千人隊長、総督たちは、自らの裁判権を失ってしまったのです。総督を訪問したアグリッパ王は、社会を騒がせる一人の男、ユダヤ人の宗教論争の元凶を、好奇心の中で、眺めようとするのでした。権力に守られた人間にとって、危険が自分に及ばない範囲で、向こう岸で有り続けることが重要だったのかもしれません。

豪華絢爛の衣装をまとったアグリッパ王とその姉妹ベルニケ、千人隊長たち、市の首脳者たちに面前に、囚人パウロは、一人連れ出されていきます。その場所にいる人々にとって、歴史を変えるカードを持っている側は、アグリッパ王と考えていたことでしょう。しかし、時代を超えて、今を生きる私たちにとって、彼らの名前は消え失せ、パウロが語り続けた福音が、歴史を貫いていることを知ることができるのです。どんな状況に置かれても、生き続けて、手渡すものを届けていくことの大切さを思うのです。