荒野の叫び声 2014年6月1日 主日礼拝

 

聖書 マタイの福音書 3章1~12節

主イエス・キリストが福音を語りだす前に、一人の預言者が立てられました。その名は、バプテスマのヨハネと言い、昔の預言者と同様に、イスラエルの民に向かって、罪の宣言と破滅を語ったのでした。

 

彼は、預言者エリヤを感じさせる様相で、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と、叫びました。まさに、それはイザヤが預言した「荒野の叫び声」であり、谷が埋め尽くされ、山や丘は低くなると、新しい神の国の始まりを感じさせるものでした。 バプテスマのヨハネは、格差社会の中で、うめいている人々に向かい、神の存在を知り、神の側へと向きを変える(悔い改める)ことで、神の支配のはじまりを告げていくのでした。エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々が、ヨハネのところに、出てきて、罪の告白し、川でバプテスマを受けたと聖書は記します。

 

一方、彼は、信仰的特権階級を自負しているパリサイ人やサドカイ人に向かっては、「まむしのすえたち。」と厳しい言葉で、断罪していくのです。神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことできる方であると、その考えを否定したのでした。

 

この世に立てられた教会は、新しい神の国を始められた主イエス・キリストの福音を語り続け、再び来てくださる方を「主よ。来てください」(マラナタ)と、待ち望む人々の集まりです。ですから、主の道を平らな道へと整えるべく、主がされたように働くことが求められているのではないでしょうか? そこには、神の存在を無視し、自分だけで、生きようとしていた自分を思い起こすことから初めていきたいと思うのです。神の愛は、全ての人に開かれていることを信じ、友の救いのために祈り続ける者でありたい続けたいと願うのです。そこからこそ、神の側へと向きを変える(悔い改める)告白が起こされ、バプテスマを受け、新たな歩みをはじめる人々が生み出されていくのです。