2021年10月31日 主日礼拝  岡本知子

聖書 エゼキエル書37章1-14節

エゼキエルは神から幻を見せられます。エゼキエルは主の霊によって連れ出され平野のただ中に置かれます。そこには見渡す限りおびただしい枯れた骨、血も肉も皮もなく干からびて朽ちていくだけのバラバラの骨が横たわっていました。そこには命のかけらもなく、死によって閉じられた世界でした。枯れた骨を目の前にして神はエゼキエルに問いかけられます。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるのか。」エゼキエルは、「主なる神よ、あなたはご存じです。」と答えます。

枯れた骨は、そのころのバビロンの捕囚となったイスラエルの人々の様子を言い表していました。エゼキエルは共に捕囚された同胞として人々の苦しみ、絶望の深さが痛いほど分かっていました。どんな言葉もイスラエルの人々には届かないだろう、そんな気持ちもあったかも知れません。しかし、「主なる神よ、あなたはご存じです。」と答えるのです。人間の力ではどうすることもできない困難に直面した時、わたしたちは本来頼るべきでないもの(偶像)に頼っていることはないでしょうか。あなたの御心が、最善が、これらの骨になっていくことを私は信じています、とエゼキエルが言ったように、希望を与える主に信頼していきたいと強く思うのです。

神はエゼキエルに、これらの骨に向かって預言するように命じられます。「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。」エゼキエルは神様が命じられたように預言を語ると、霊が彼らの中に入って彼らは生き返り、自分の足で立った、彼らはおびただしい集団となった、と記されています。形だけの人間に、神の息が吹き込まれると生きた命あるものとして復活したのです。復活のイエス様が迫害を恐れる弟子たちの真ん中に来てくださった時も「息を吹き付け、聖霊を受けなさい」と言われ励ましてくださいました。主の言葉と霊によって生かされていくのです。先の見えないこの困難な時代、私たちも主の言葉に聞き、霊を受け生かされて生きる者として歩んできたいと祈り願っています。