2021年6月20日 命どぅ宝の日礼拝 あなたに従います。しかし、

聖書:ルカによる福音書 9章57-62節

「沖縄命どぅ宝(命こそ宝)の日」という言葉を掲げて、女性連合は6月23日を、命を大切に再び戦争を起こさないようにという誓いの日として、15年間歩んできました。そして沖縄の人たちが抱えている痛みを「知る、祈る、共有する」という働きを担いあってきました。しかし、毎年継続されていた学習ツアーも、2年続けて、コロナ感染を配慮して取りやめとなってしまいました。

今年は、なんとしても沖縄からの発信を届けていこうとYouTubeが作成されました。女性会ばかりでなく、多くの方々と分かち合いが行えたら良いと思っています。このような働きに対して、いつもどこかで「なぜ沖縄なのか?」という疑問が投げかけられます。自分たちの生活、自分たちの教会で手一杯なのに、なぜ外に目をむけていかなくてはいけないのか?と問われることもあります。

本日の聖書箇所の中では、弟子になりそこねた人々が描かれます。主イエスは「どこへでも従う」と語る人にご自身が向かう厳しい道を示されました。次に「父の葬り」を先にしようとする人に死者にまかせよ」と語り、「家の者たちへの別れ」を望む者へは、関係性の回復に集中することを示されました。 主イエスに従うとは何か?この場面で語る主イエスの言葉は厳しく感じられるものです。しかし、わたしたちの生活における必要なものを全て知っておられる方に、まず先に従っていくことが求められているように思えます。ここで描かれている人々は、従わないとは言いません。彼らは、「従います。しかし、」と、まず自分で考えた、しなくてはならない事を優先しようとするのです。

沖縄から発信される課題を知ることで、この国が抱えている課題が見えてきます。沖縄の痛みに触れることで、片隅に押しやってしまった私たちの罪が明らかにされていきます。何もできないとあきらめたり、切り捨てるのではなく、祈りをあわせることで連帯を生み出していきたいと願うのです。