2021年9月26日 主日礼拝 神の国はあなたの所へ

聖書 ルカによる福音書 11章14-23節

主イエスが口を利けない悪霊を解放して、ものを言うことができるようにされたといいます。当時の人々にとって、手に負えない病や障害は、悪霊の仕業とされていました。 そして汚れた霊が自分たちに及ばないように、共同体から排除していたのでした。まさにコロナ感染した人を差別し、その家族までも排除しようとする現代社会と何も変わっていないように見えます。

主イエスの目覚ましい働きを、驚きをもって見ている人ばかりではありませんでした。「悪霊の頭ベルゼブルの力で追いだしている」と言う者や、「天からのしるし」を求める者がいたのでした。どちらも悪霊による厳しい状況から解放された人々の、痛みや苦しみに寄り添った思いからではなく、自分たちの立場からの発言や興味本位の言葉でしかありませんでした。

ベルゼブルとは、エクロンの神「バアル・ゼブブ(蝿の神)」(列王記下1:2)に由来し、汚れた物に摂りつく蝿から、悪霊の頭の名前になっていたようです。主イエスが共同体から排除した人々に寄り添っていたことから、ベルゼブルの力と言われたのでしょう。彼らの心を見抜かれた主イエスは、どんな共同体も内輪もめによって立ち行かなくなることを示されました。さらに、ご自身が神からの使者として働かれることを明らかにされたのでした。ここで「神の指」すなわち出エジプトの民を率いるモーセを指し示す言葉が用いられることで、「神の国」が近づいていることを語られたのでした。

悪霊を追い出す働きは宗教家たちも行っていました。主イエスの働きを神からの力と受け入れることでこそ、「神の国」は私たちの所に見えてくるのです。それを否定すると、「神の国」は遠のいて、神からの赦しと助けをも自ら拒むことになるのです。主イエスの働きを、自分の立場や興味本位からしか受け止められない者は「神の国」すなわち「神の支配される国」に敵対している者として散らされていくことを知っていたいと思うのです。