2022年1月16日 主日礼拝 一羽のすずめさえ

聖書 ルカによる福音書 12章4-7節 (録音はありません)

主イエスは弟子たちにむかって「友人であるあなたがた」と、呼びかけます。そして「誰を恐れるべきか」を語られるのでした。「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れるな」とは、限界のある人を恐れる必要はないことを示した言葉です。この地上における人の命はその終わりを迎えます。しかし、神がひとりの人を造られたということは、いのちの本質ともいえる存在をお造りになったということなのです。そしてその存在は、人間のどんな力によってでも失われることはないと、言われるのです。

主イエスがこの世に遣わされた時代、人々は神殿での礼拝に、いけにえを献げました。献げられる動物は、その人の財力に合わせて大きな羊から山鳩などでした。雀は極めて貧しい人々の献げものとして用いられ、食用にもされていたようです。雀は人々の日常生活の中にいて、誰もその存在を意識するものではなかったのでした。しかし、そのように価値をみいだすことのない雀でさえ、神の前に忘れられることはないと語られるのでした。さらに髪の毛一本であっても神によって数えられ、神の関与から離れた存在にはならないと言われるのでした。

現代社会に生きる私たちは、他者に数えられる雰囲気に取り囲まれています。良い成績、良い仕事、自分を大きく見せることで他者に覚えられるような態度にも出逢います。自分の存在を確かなものとして、恐れを克服しようとしているのかもしれません。「恐れることはない。あなたがたは、たくさんの雀より優れた者である(12:7b)」との宣言は、神の御子イエス・キリストのみが語れる言葉なのでしょう。そこには、すべての存在は、人の価値判断では自由にならない真実があることを示されたのです。

神は、造ったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。(創世記1:31a) 私たちは、被造物の一つとして、また神の似姿に似せて造られた存在として、喜んで生きていきたいのです。