2022年1月2日 新年礼拝 命の至る道

聖書 使徒言行録 2章25-28節

人々の前で語る時に、主イエスは、弟子たちも、様々な場面で旧約聖書の言葉を引用します。それほどにユダヤ社会では、律法や預言書、さらに詩編に記された言葉が、日々の生活の祈りの中に入っていたのでした。五旬節に、復活の主イエスの約束通りに聖霊が降り、小さくされていた弟子たちが語りだします。「あの人たちは新しいぶどう酒に酔っている」とあざける人々にむかって、ペトロは「私の言葉に耳を傾けてください」と、声を張り上げます。この緊張感の只中で、ペトロはヨエル書を引用し、詩編を引用して、神のご計画が実現して、主イエスが復活させられたことを示すのでした。

ここで、ペトロは詩編16編を用います。 聴衆たちもこの詩編が、主のもとに逃れてきた中で「あなたの他に幸いはありません」と、ダビデが主をたたえて歌った歌であることを知っているのです。ですから、主が目の前に、そして右におられることこそが、平安と喜びであることを共有できたのでした。復活の信仰はいまだ位置づけられないままで歌われたとしても「私の魂を陰府に捨て置かず、聖なる者を朽ち果てさせない」との言葉が響きます。この歌が復活の主イエスに出会ったペトロを通して語られる時にこそ、具体的に復活の出来事が指し示される歌へと変容していくのです。

陰府とは「すべての関係性が喪失してしまった場所」といわれます。神と人との関係性を失ってしまうと、必然的に人と人の本来の関係性は虚栄に満ちた空しいものになっていきます。主から逃れ、主から離れた所は、死と嘆きに支配されているのです。しかし、昨年のアドベントの期間に私たちは、主なる神は、主から離れ、神を必要としない私たちを捜し出し、連れ戻すために、主イエスをこの世に遣わしてくださったことを知りました。新しい年、主が共におられることこそ、希望の内に安らうことであることを、命の道へと導かれ喜びに満たされることを証していくものでありたいのです。