2022年3月6日 主日礼拝 主人が帰ってきたとき

聖書 ルカによる福音書 12章35-48節

私たちの教会では、主の晩餐式において「マラナ・タ(新生讃美歌414)」を共に賛美します。これは、「主よ、来てください。」との意味を持ち、再臨の主と共に与る食卓を思い浮かべ、今生きる私たちの信仰生活を歌う賛美です。主の晩餐式において、主イエスが弟子たちと共に与った「過去」の出来事を思い起こし、今生きる私たちの信仰者の交わりを喜ぶ「現在」と、再臨の主と共に与る食卓を待ち望む「未来」を総括して、パンとぶどう液を配餐し食していくのです。

復活の主が約束してくださったように、主イエスが世の終わりに必ず来てくださることを喜んで待ち望むことは、とても幸いな生き方と言えるでしょう。しかし、福音書に記された時代の人々の意識と、現代社会に生きる私たちには、どこか緊張感が違ってきていることを思います。当時の人々の中には、実際の主イエスの言葉に触れた人々からの熱い語りかけが残っていたでしょう。さらに、異端としての肩身の狭い思いの中から、主イエスの再臨によって解放されていくことを期待して待ち望んでいたのでした。

主人が帰ってきたとき、目を覚ましているのを見られる僕たち、忠実で賢い管理人として働いている僕たちを幸いと言ってくださる主イエスの深い愛を感じます。そこには主人と僕という立場を超えての信頼関係にある交わりが語られているからです。腰に帯を締め、灯をともして主人の帰りを待っている僕は、主人によって食事の席につき給仕をしてもらえると言われます。また穀物の配分や召し使いたちとの善き関係性に務める僕には全財産を任されると言われるのです。

私たちは今、戦争の侵攻によって命の危機に直面する多くの人々の叫びが聞こえてくる現実に生きています。この時代に教会がどのような発言や行動が求められるのかが喫緊の課題となりました。和解の主の働き人として、平和の道具として用いてください。と、祈りを合わせましょう。