2022年5月29日 主日礼拝 命の言 松浦ミチ子

聖書 ヨハネの手紙一 1章1-4節

ヨハネさんは言います。初めからあったもの つまりイエスキリストは 初めか ら存在している方 その人が人としてこの世に来て下さったと紹介するのです。 今日の固所から結論をのべますと、命の言そのものである イエス キリストに 出逢ってほしい。そして 御父とキリストとの交わりを持ってほしい。 この二つを願っているヨハネさんを感じました。 この交わりという言葉を教会はよく使います。 この教会は とても良い交わりがある、いえやっぱり少ないよとか、もっと食す ることかあったらいいとか あの教会はこういう工夫があるらしい 等々。 しかし この交わりには聖書的に、根底には、「キリストの命を共有している」と いう事なのです。

「命の共有!?」 少したち止って考えてみましょう。 つまり、キリストの命を私達二人以上で共同する 言いかえれば  このキリスト の命の中に私達は生かされていると聖書は語るのです。今更言う事もない程 にいつもそう感じて生活したいものだと思っていますが。 この交わりがもたらすものの一つに喜びがあるとヨハネさんは言っています。 又呼びかけているのです。 この方は 貴方のそばにいて、貴方を助けて下さる方ですと。 ヨハネさんの思いを私への語りかけとするにはどうすればいいのでしょう。 命の言なるキリストにふれようとしなければなりません。 命の言を見ようとし、聞こうとしなければなりません。 今日ヨハネさんの思いにいくらかふれた私達は心の扉をあけて、互に命の言 なるキリストを喜び合い たしかめ合いながら、礼拝生活ができますように 心から祈りましょう。