2022年7月3日 主日礼拝 大いなる喜びが天に

聖書 ルカによる福音書 15章1-10節

ルカによる福音書15章は「見失った羊」「なくした銀貨」そして「いなくなった息子」というタイトルが付けられたたとえ話が記されています。この話は見つけられた側というよりも、見つけることのできた側の喜びに焦点が当てられた話と言えるでしょう。そして、この一連の話は、主イエスに対して「罪人を受け入れ、一緒に食事をしている」と文句を言った人々にむかって語られた話です。

最初の2つの話は対になっていて見失う➡捜し出す➡呼び集めて➡大喜びのパターンが描かれています。最初の話は、99匹の羊たちを荒れ野に残して、1匹を見つけ出そうとする羊飼いが、次の話は、ドクラメ銀貨10枚でできた首飾りの一枚がなくなって、灯をつけて家の中を念入りに捜す女が描かれています。特に注目したいのは、ようやく見つけ出すことができたときに、友達や近所の人々を呼び集めて、一緒に喜んでくださいと共に食事をしていく風景が描かれていることです。

主イエスの話を喜び聞きたいと集まってきた人々は、ユダヤ社会の中で蔑視されていた徴税人、罪人扱いされた貧しい人々たちでした。彼らにとって、その話は心を燃やし、神への信頼と愛が満たされるものであったのでした。主イエスご自身も、私が来たのは、正しい人を招くのではなく、罪人を招いて悔い改めをさせるためである(5:32)と、語られていました。

私たちの社会においても、自分ではない誰かに、あるいは別の場所に厳しい状況を押し付けて、平和ということにはならないはずです。 今、地球上で起きている悲惨な出来事に関係ない人は一人もいないのです。1匹を見失った時の羊飼い、1枚がないと知った女のように、気づいたときにこそ、どんな行動が求められているのかが問われているのでしょう。主なる神は、先頭に立って、弱く痛んだ人々を捜しだし、神の宴会へと連れ戻そうとされています。 一緒に喜んでくださいと喜び祝う神の祝宴に共に与っていきたいものです。