2022年9月11日 献身者デー礼拝 あなたがたは皆

聖書 ガラテヤ人への手紙 3章26-29節

米国南部バプテスト連盟(SBC)は、日本バプテスト連盟(JBC)に対し、戦前戦後を通して多くの宣教師を送り、巨額の献金で支えてくださいました。その献金によって全国の諸教会は会堂が与えられ、教会形成においても、宣教師夫妻の姿を模範として学んできました。しかし女性が牧師として立ちたいという召命は、そのほとんどが退けられ、「牧師夫人」へと奨励されました。

2000年、SBCは「教会で奉仕する賜物は男性にも女性にも与えられているが、牧師の任については、聖書によって規定されているように、男性に限られている」という信仰宣言を採択し、海外に派遣されている宣教師たちにサインするように強要しました。諸教会に招聘されていた宣教師たちは信仰の良心に従ってサインしない人々、サインする人々に分断されていきました。発足間もない「女性牧師・主事の会」のメンバーは早速にSBCへ書簡を送り、JBCも総会で「女性牧師に関する声明」を決議しました。この際に用いられた聖句が「そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分のものもなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです(新共同訳)」ガラテヤ信徒への手紙3章28節でした。

この聖句を選んだ背景には、いままで良い関係性であったSBCとJBCが同じようにキリスト・イエスによって神の子とされ、キリストを着た同志であることを、一方的に女性牧師を認めないという大きな差別によって分断される深い悲しみでした。この箇所を丁寧に見ると「男と女」でない。と前の二種類とは違った表現が用いられていることが分かります。そこにはパウロが、神が人を自分のかたちに創造され、男と女に創造されたという創世記2章27節を意識した表現を用いることで、ジェンダーに捕らわれない関係性を思い描いていたことがわかるのです。いつの日か、わざわざ「女子献身者デー」と意識しないで、牧師への召命が受け入れられる日がくることを祈ります。