マタイによる福音書 6章34節
メッセージでおわかちしたい御言葉は、マタイによる福音書6章25-34節です。このマタイの福音書5−7章はイエス様の
山上の説教と言われているところです。その中から「空の鳥と、野の花」「思い煩うな」を学びたいと思います。
今日の聖書の箇所の中では「あすのための心配は無用です。」(マタイによる福音書6章34節)とあります。「心配は
無用です。」というのです。なぜか。神様は私たちが求める先からすべてを知っておられるからです。また、私たちが
普段の生活の中で食べ物や着るもののことで心配する時に、神様は私たちの大切な命や私たちの体のことについて心配
してくださっておられます。御言葉はそのことに気づくようにと勧めているのです。
さて、「空の鳥、野の花」から何を学ぶことができるでしょうか。「空の鳥や野の花」が今の時をひたむきに生きてい
る姿をここではみることができます。野の花は、その場所で精一杯咲いています。咲き終わったら、種ができ、地に落
ちて、季節が来ると、また咲いてきます。野の草も「明日は炉に投げ込まれる」かもしれませんが一生懸命生きている
のです。「明日は炉に投げ込まれるかも知れません」とはどういうことでしょうか。「炉」とは粘土質の土を固めて作
ったもので、主にパンを焼くために使われた、オーブンです。女性がパンを焼こうとした時、近くの野に出かけ、取っ
てきた草と野の花を乾燥させたものを燃料として使いました。空の鳥は自由に飛び回ることができますが、いつ捕まえ
られるかも知れません。そうした危険の中でなんとか生きながら、今という時を光輝いて美しく生き切ろうとしていま
す。それはどうしてでしょうか。すべてを神様に委ねて生きているからです。
それに引きかえ、私たちは私たちに与えられた今日を、過去の後悔や将来に対する不安や心配で、精一杯生きることが
できなくなってしまうことがあります。しかし、そうした私たちのために主イエスがこの世に来られ、十字架にかかっ
て死なれ復活して昇天された後、聖霊を送ってこの聖霊を通して働いてくださっておられます。この御言葉からも私た
ちをイエス様が担い、すでに罪を贖ってくださったことが聖書を通して語られているのです。「今を生きよ、過去や、
未来の不安から解放されて、すべてをわたしに任せて、十分に生きよ」と勧めておられるのです。
また「空の鳥や野の花」からさらに学ぶことは、「無力さ」です。「空の鳥は種を蒔かず、刈り入れもせず、倉に納め
ません。」とありますが、鳥にはできないのです。「野の花」はその場所でしか生きることができないのです。空の鳥
も、野の花も、神様に委ねて生きることしかできないのです。自分の無力さを知る者こそ、自分を生かしてくださる神
様の偉大な力を知っているということです。私たちの弱さを認め欠けた存在であることを受け入れて、私たちの命や体
にとって、また家庭にとって、教会にとって、すべて必要なものをご存知であるお方に助けを祈り求めるようにと勧め
ておられるのです。
「明日のことまで思い煩うな。その日の苦労は、その日だけで十分である。」今日という日を精一杯生きていけば、私
たちの人生・生涯が、空の鳥や野の花のように美しく光輝くことと思います。
イエス様は、いつも寄り添ってくださり、いつもそばにおられます。ここにおられます。