コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章14節
この御言葉はで使徒パウロが告白している表現です。
熱心なファリサイ派のパウロ(当時はサウロ)は、救われる前は初代教会の熱心な迫害者でした。彼は律法を守れない人でもナザレのイエスをメシア(救い主)と信じるなら罪が赦されて救われると教えている初代クリスチャンたちに対して激しい怒りを燃やし、許してはおけないと熱心に迫害していたのです。
この徹底した反クリスチャンであったパウロが、「ある時」を境に最も熱心で忠実なクリスチャンになり、全世界に福音を宣べ伝えるために大きく用いられたのは、やはり生けるキリストと出会い、主の愛を知ったからです。
「ある時」とは、ダマスコへ向かう途上で出会った復活のイエスさまからのお声かけでした。『サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いたサウロが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと『わたしは、あなたが迫害しているイエスである』と言われたのでした。(使徒行伝9章4~5節)
まさにサウロが初代教会の弟子たちを逮捕するためにダマスコに向かう途中の出来事だったのです。
ここで復活のイエスさまから「あなたはわたしを迫害している」と言われて、初代教会の弟子たちを迫害することは、彼らの師であるイエスさまを迫害していると言われて、サウロの心に、弟子と師の一体性を感じ取り、ダマスコで主の弟子アナニアから按手されて目からうろこの体験をし、一気にイエスさまを師と信じて従い続ける献身の道へと導かれ、後の偉大な働き人パウロが誕生したのでした。このとき以来、キリストなるイエスさまの愛に駆り立てられて活躍し、初代教会に襲い来る「異端の波」を防ぐ防波堤となる教えを築くことができたのは、ファリサイ派の中心的指導者であったガマリエルのもとで旧約聖書をしっかり学んだことが土台となっていたのです。神さまのなさることに無駄はないですね。