2025年8月10日 主日礼拝 「いのちを分かち合う主イエス」松見 俊 師

マルコによる福音書5章21-43節

 

私たちは人生において様々は触れ合いを経験します。赤ちゃんは口でいろいろなものに触れ、手を握り、

あるときは足で触って、その感触を確かめます。あるときに、私たちは深い意味を籠めて愛する人にそっ

と触れます。それは言葉以上のものを人に伝える力を持っています。いろいろな接触がありますが、聖書

はいのちといのち、愛を分かち合う接触を描いています。重病の娘に手を置いて祈って下さいと願う父親

の祈りに応えて、主イエスは娘の手を取って「少女よ、起きなさい」と言って彼女を死の淵から引き上げ

られました。12年間病気を患っていた女性が、そっと後ろから主イエスの服に触りました。主イエスは

そんな接触を喜ばれ、「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。

 

 そのとき、イエスは、「自分の内から力が出て行ったことに気がついた」と言われます。主はほんの小

さなシグナルしか出せない人間がいることをご存知でした。この女性の僅かなタッチによって、イエスの

体から、彼のいのちの中心から、「力が出て行ったことに気がついた」のです。聖書はさらっと書いてい

ますが、主イエスはご自身の命の動揺というか、その存在そのものが震われたのでした。ここに、イエス

の感受性の鋭さが描かれています。いや、単に感受性という、感性の問題だけではなく、イエスの存在そ

のものの恵みでした。彼女のタッチはイエス様の存在、イエス様のいのちそのものを揺さぶったのです。

この言葉は十字架の道を歩まれるイエス様に相応しいものであると思います。イエス様は十字架の死にお

いて、そして死者たちの中からの復活によって、いのちと愛を分け合ってくださったのです。

 

815日は旧のお盆ですが、その関係もあって相浦光教会は、8月10日を召天者記念礼拝としているのでし

ょうか?それはともかく、信仰による死者たちは信仰によってイエス様といのちを分かち合っておられる

ので、召天者たちを覚えて、感謝し、わたしたちも同じ主イエスにある者として歩みましょう。

 

また今週は80年目の8月15日「敗戦記念日」を迎えることも覚え、イエス様によって成し遂げられた

「平和」が実現されるように祈り、行動しましょう。