マルコによる福音書 2 章 13 – 17 節
イエス様は取税人レビを弟子とし食卓に着かれました。このイエス様の行動は、ユダヤ教の清い生活
を心がけていたファリサイ派の律法学者たちにとってはあり得ないことでした。「16 ファリサイ派の律
法学者たちは、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして、彼は
徴税人や罪人と一緒に食事をするのか。」と言った。(16節)」 彼らのあり方はイエス様と真逆で
した。
ゆるして受け入れることそれが愛です。私たちが教会に来て恵まれるのは、イエスさまに出会って受
け入れてもらえたと解るからです。イエス様のお考えを知り、イエス様の みことばを聴き、イエス様
の行動を知ることによって、この私も救われると直感し喜びと感謝があふれます。
妻にモラハラを7年間も続けてついに妻と子が出て行ってしまった離婚寸前の夫の人のテレビ番組が
ありました。
◎整理整頓はちゃんとできているべき。
◎買ったものはすぐにあるべきところに収納するべき。
◎物は大事に使うべき。
◎子どもはご飯をたくさん食べるべき。
◎母親は基本、元気でいるべき。
彼の言っていることは正しいことでした。妻から離婚を願う手紙が来たのに驚いて、AIのチャット
GPTに聞いたら「あなたは悪くありません。あなたは自分の心を守るために妻にそうしてきたのです
。」と答えたそうでした。それを見た彼はやっぱり自分は間違っていないと考えました。恐ろしいこと
です。ですが後で、多くの人たちの実際の事例を知って自分こそモラハラをしてきた、自分が悪かった
と気が付き、謝罪の手紙を書いたそうです。
律法学者やパリサイ人。彼らの言葉は正しいです。その正しい基準で人を断罪し傷つけ、分断を生じ
させ、自分自身を苦しめる結果になっています。しかもそれに自分で気付かない。聖書はそれが人間の
罪と言っています。
自分の基準で善悪を決めたり、正しい人をイエス様が招いておられるという勘違いから解放されて、
イエス様のようにかかわる一人一人を受け入れ、寄り添って話を聞き、福音を伝える伝道に私たちは励
みましょう。イエス様は言われました。
「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(17節後半)」
