2025年11月16日 主日礼拝 「限りない祝福を受けて生きる」鮫島 則雄 牧師

マラキ書3章6-12節

 

神さまはマラキ書3章10節で以下のように約束してくださっています。

 

「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよ」と万軍の主は言われる。「必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。」

 

神さまが約束された「必ず」ですから、100%なのです。また、マタイ6章31~33節では『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。とイエスさまが力強く約束してくださっています。

 

イエスさまがおっしゃった「これらのもの」とは31節の『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と異邦人たちが切に求めているものということであり、全ての人間の基本的な欲求を指していると言っていいでしょう。

 

神の国と神の義を第一に求めていくなら、ノンクリスチャンの人たちが切に求めているものは「これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」と約束されているのです。おまけとして与えてくださるということです。皆さんもお金が入ったならば、それが給料であろうと、年金であろうと、全ての与え主は神さまなのだ、ということを思い出しましょう。

 

「この収入は神さまからです。その恵みを感謝して十分の一を献げ、残りを有効に使わしていただきます」と決断するのです。そういう意味で月約献金としての十一献金は、わたしたちの信仰の正念場です。神さまはその私たちの心を見ていてくださるのです。「わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう。」