あなたの罪は赦された 2020年5月3日 主日礼拝

聖書 ルカによる福音書 5章17-26節

ルカによる福音書では、この場面から6章まで、ファリサイ派の人々や律法学者と、主イエスとの衝突が記されています。この当時のいわゆる宗教家と言われていた人々の考え方と主イエスの思いには根本的な違いがあることが明らかにされていくのです。

まず病と罪についての考え方として、旧約の時代から、その人、あるいは先祖の罪によって病が与えられていると考えられていました。一方主イエスは、病や障がいの原因を問うことなく、現実に差別を受け、痛み苦しんでいる人々の心に注目し、因果応報の考え方を排除されました。今こそ感染症の拡大によって身近な人の感染や死の場面に直面すればするほどに、私たちは祈ることが求められているのです。特に回復への道を精一杯生きようとする方々や、医療現場で崩れそうな思いの中で必死で対応しておられる従事者の方々に、主が共にいて励ましてくださるように祈りましょう。

次に罪の赦しと信仰の問題について、主イエスは、自分の大切な人を何がなんでも、主イエスの前に置こうとする友人たちの熱い信仰に応答して「人よ、あなたの罪は赦された」と宣言されたのでした。「罪を赦すことができるのは神だけ」という教えを忠実に守ってきた宗教家たちにとって、主イエスの宣言は、神を冒涜する行為でしかなく、そこに働かれる主の力(5:17)を受け入れようとはしないのです。わたしたちは罪を犯罪としか捉えない時代に生きているので、自分たちを罪とは無縁のものとしがちです。しかし神なしに生きる人生こそ丸ごと罪(的外れ)であり、その赦しは主なる神でしか成し得ないのです。

それでもなお主イエスは、体の麻痺した人にむかって「起きて床を担ぎ、家に帰りなさい」と新しい歩みを促していかれたのでしょうか? そこにいた宗教家たちも、群衆も「罪が赦される」ことより「起きて歩け」と命じられることの方が難しいと思い込んでいたからでしょう。その人は寝ていた床を担いで神を崇めて帰っていくのです。