その名はインマヌエル 2020年12月20日 クリスマス特別礼拝

聖書 マタイによる福音書 1章18-25節

わたしたちが、聖書の語る神を紹介するときには、「神の名前」が必要になってきます。出エジプトの召命をうけたモーセは、主なる神に名前を問います。神は「「私はいる」というという者である。(出3:14)」と応じ、しりごみをするモーセに対して「私はあなたと共にいる。これが、私があなたを遣わすしるしである。」と語られたのでした。 さらにモーセの従者ヨシュアが、イスラエルの民と共にヨルダン川を渡るとき、主なる神は「私がモーセと共にいたように、私はあなたと共にいる(ヨシュア1:5)と、励まし支えてくださったのでした。

南ユダ王国の滅亡の時期に活躍した預言者イザヤ(第二)、またエレミヤにも、「恐れるな。わたしがあなたと共にいる。たじろくな、私があなたの神である(イザヤ41:10)と、大胆に神の言葉を語るように促されたのでした。

一方で主なる神は、イスラエルの民との間に契約を結び、十戒を与えられた中で「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」と、神の名を畏れ、空しいことに用いないように示されたのでした。

神の御子イエス・キリストの誕生の次第について、マタイによる福音書には、聖霊によって身ごもった命について困惑し、恐れの只中にいるヨセフに対して、預言の実現を示します。主の天使は、「その名はインマヌ(私たちと共に)エル(神・単数)」と、告げるのでした。すなわちモーセも、ヨシュアも、預言者たちも、声や幻でしか知りえなかった「私はあなたと共にいる」という神が、人間の姿を取って、「私たちと共に」という具体的な存在となって遣わされたことが明らかにされたのでした。

コロナ感染によって、多くの人々の生活が閉ざされ、関係性を断つような雰囲気の中で、わたしたちは闇の中を、死の陰を歩んでいます。だからこそ、私たちは「その名はインマヌエル」というイエス・キリストの誕生を祝い、喜びに満ちた希望を受け止めていきたいのです。