ただお言葉を 2020年7月26日 主日礼拝

聖書 ルカによる福音書 7章1-10節

主イエスは「平地の説教」を語りつくして。カファルナウムに入られます。この場所は、主イエスの宣教の拠点とも言える場所で、シモン・ペテロの家のあったガリラヤの湖辺の町です。ここで、百人隊長は、主イエスが来られていることを聞き、病気で死にかけている僕のために、ユダヤ人の長老たちを使いにやります。 異邦人の自分が、主イエスに直接近づくことは汚れになると思いつつ、「僕を助けに来てください」と、願い出るのでした。長老たちは「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です」と、主イエスに熱心に語ります。

ところが、主イエスが長老たちと出かけていくと、百人隊長は友人たちを送り「主よ。ご足労には及びません。ただお言葉をください。そして、私の僕を癒してください」と伝えてくるのでした。百人隊長は、主イエスに助けを求めるだけでなく、祈りの中で、御言葉の権威と主の力に信頼することの重要性に気付いていったのでした。

聖書の語る神は、天地創造の業を一つひとつ、言葉をもって具現化して行かれた方でした。「光あれ」という言葉によって光が存在していくのです。ですから、百人隊長が神を信じ、御子イエス・キリストの権威に触れるとき、いかに自分自身がふさわしくないものであり、ただただ主からの憐れみと恵みの中で、神の業が起こされていくことへと導かれていったのでした

私たちも最初に主イエスに出会っていったのは、病の癒しや、人間関係の解決など、求めるものは様々であったしょう。その中で、計り知れない主イエスの愛と慈しみを知り、少しずつ自分の力を手放して、主なる神に信頼して委ねていく、信仰の道を歩みだしていくのです。

「ただ、お言葉をください」と願い出た百人隊長の姿勢を、主イエスは「イスラエルの中でさえ、これほどの信仰は見たことがない」と驚かれました。ルカは主イエスを通して、すべての民族、すべての人へ、救いが開けれていくことを示していくのです。