聖書 ルカの福音書 23章39~43節 田代秀武兄
私たちが過ごす日々の生活の中で、逃れることの出来ない時の繋がりである今日という日を考えます時に、今日をどの様な思いを抱き意識的に生きていけるのかをご一緒に聖書から学んでいきたいと思います。4つの福音書の中でルカにしか記されていない箇所があります。
ルカ23章43節に『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』と主イエスは、同じ十字架刑を受けている両側の二人の罪人に言われました。この様な死に直面した処刑の前の緊迫した十字架上に張付けられた状況の中で、主イエスはこの言葉を発しておられます。イエスを真ん中に置いた十字架上の二人の罪人のやり取りは、この二人の言動が、実は私たち自身の心の中の二面性を表しているのではないかと気付くには、皆さん夫々の思いがお有りになることでしょう。自分自身を神様の鏡の前で裸にして、自分の利益やくだらない名誉で行動し、直そうにも直らない自分自身の醜さを再発見する時に、この二人の存在が自分の中にある事を見出し、この不完全な人間であることを知りながら引き上げてくださる神様の愛を感ぜずにはいられません。決して神様から選ばれたものではなく、引き上げてくださった事を感謝し今日を生きる糧としたいものであります。
「今日と言う日」を生きるために、先ず第一に罪人である私達は、まさに主イエスの十字架の隣で共に十字架に掛っている二人であることを心に刻み今日を生きることも必要なことではないかと思います。そしてどの様な極限の状況におかれていても、主イエスが言われた43節の御言葉をしっかりと受け止めて今日という日を勇気を持って生きたいものです。第二に、私達は今日という一日を与えられているわけですから、心配を神様に知ってもらいながら、とにかく今日という日を精一杯生きることに力を注ぎたいものです。第三に、クリスチャンとして召された者が「今日と言う日」の生き方としてピリピ人への手紙2章5節に「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるのです」、キリストを模範として日々をすごしなさいとパウロが薦めています。聖書協会連盟の古い文語体の聖書の同じ5節には「おのおの己が事のみ顧みず人の事をも顧みよ。汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」と命令形となっています。最良で、健全な、前向きな「心構え(アテイチュウド)」を持つことをすすめられています。私達は、主イエスに見出されクリスチャンの列に加えられたものではありますが、常に罪人の私達が出来る事は、主イエスに倣う者として、キリスト・イエスの心を心として、少しでも主イエスに近づくように今日を力強く生きること、今日という一日一日を踏み出したいものです。