信じる者の幸い 2013年4月14日 巻頭言

聖書 ヨハネの福音書 20章24~29節

トマスは、あの時、仲間の弟子たちと一緒にいなかったのです。週のはじめの日、ユダヤ人を、恐れて戸をしめて、弟子たちが集まってところに、イエス様は、来てくださった、それで、ほかの弟子たちが、「私たちは主を見た。」と、喜んで、輝いて、口々に言う有様にむかって、吐き捨てるように言うのです。「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をその脇に差し入れてみなければ、決して信じません。」しかし、そう言いながら、トマスは、この弟子たちの共同体から離れることはなかった。また、他の弟子たちも、自分たちが、イエス様を見捨てて、逃げ帰った痛みを持つものとして、トマスの厳しい言葉を受けながらも共にいることを選んだのでした。

主イエスが、このトマスの前に来てくださるまでに、八日間の日々が必要だったと聖書は語ります。トマスにとって、どのような八日間であったのでしょう。あの八日間、消えることのない喜びにいる弟子たちとすごす日々だった、思うのです。

八日後に、とうとう、トマスの目の前に、主イエス・キリストが来てくださって、「平安があなたがたにあるように」と言われ、近づいて来て、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と、おっしゃるのです。圧倒されそうな、その愛に押し倒されそうになりながら、トマスは、答えるのです。「私の主。私の神。」

この弟子たちが、厳しいことを言い放つトマスを、切り捨てないで、一緒にいることを選び、トマスも,共にいることにしたからこそ、イエス様にあうことができたのです。教会とは、そんなところなのではないでしょうか? 一緒にいるときに、喜びの中に生かされる場所が、教会、すなわちイエス様に出会う場所、信仰共同体なのでしょう。キリストの愛を伝える使命をいただいた、この相浦光キリスト教会が、また2013年度、共に喜びの中で歩んでいきたいと思うのです。