聖書 ヘブル人への手紙 12章1~3節
相浦光キリスト教会は、毎年8月第二週に、召天者記念礼拝を行っています。主イエスの呼びかけに応答し、信仰を持ち続け走りぬいた人々を覚え、その歩みは、厳しいながらも、主がいつも共にいてくださったことを喜ぶ礼拝であります。また、故人となられた家族を思い、命の主に、共に祈りを捧げたいと願う時でもあるのです。
神様は、人にご自身の命の息を吹き込んで生きるものとされ、その出来栄えを、極めて良いと喜んでくださった方です。 しかし、人は、この世の命をいただいた以上、ひとり残らず、その終わりの日、死にむかって進んでいるのです。止めることはできません。その終わり、死の向こう側は、人間の領域を超えた事柄であり、神様の領域であります。 しかし、神の御子主イエス・キリストは、人間として、この世に命を得て、人々の辱めを耐え、必要のない十字架にて処刑されたにもかかわらず復活させられ、今、神の御座の右におられると、聖書は語るのです。 ですから、この方は、天地のはじまりより、神と共におられ、神の本質を私たちに現すために、この世にこられ、さらに死の向こう側、すなわち神の領域までも、突き破って生きた方であります。ですから、信仰の創始者であり、かつ完成者であるのです。
わたしたちは、聖書に記された多くの信仰の先輩の歩みを見ることができるのです。その歩みは、決して平坦なものではなく、すぐに神の導きから外れそうになりながら、襟首を掴まれるようにして、神と共に生かされ、信仰によって、応答に生きる生涯を、走り終えていきました。その多くの雲のような証人たちが、わたしたちの生き方を、見守り励ましているのです。 信仰の創始者である主イエスが、自ら信仰に生きる道を拓き、模範を示してくださっている以上、この世に生きる私たちが、その方から目を離さないで生きることが、虚しく疲れ果ててしまわない走り方になるのでしょう。