共に働かれる主 2013年11月24日

聖書:マルコの福音書 16章14、15、20節

私たちが、イエス様に出会い、救い主と受け入れるまでの、長い道のりを思い起こすとき、誰かが、海をわたってはるばるとみ言葉を携えて来たこと、そのために多くの祈りと献金がささげられたことを、忘れてはいけないと思うのです。本日は、世界バプテスト祈祷週間のはじまりを現す特別礼拝を共に捧げています。「世界伝道」を使命として、1920年からの手渡されてきた働きの中で、多くの宣教師を受け止め、また送り出していくことができたことも、振り返ることができます。 時代によって宣教師たちを突き動かしていった背景は、様々であったとしても、その足跡をたどるとき、送り出したボードと、受け入れた共同体との板挟みの中へ放り出されていたことを知ることになるのです。そして、そのことは、また現代においても、宣教師の働きを難しくすることも配慮しなくてはいけないのだと思うのです。だからこそ、福音を告げ知らせるために出かけて行かれたイエス様の姿を思うのです。 宣教師の働きが困難なものに満ちていたとしても、そこには、祈りと献金によって共に歩む人々を起こさせ、先立って働かれた主がおられることだけは、確かなものと受け止めることができるのです。

本日の聖書箇所は、マルコの福音書が書かれた時期より、ずっと後になって記され、福音書とは、違った著者の存在も感じられます。しかし、ここに記された記述が、削られることなく、私たちの手に届けられたことは、心鈍く信じることのできない人間が作り替えられて、福音を伝えていった人々が存在したことのしるしなのです。聖霊の風に吹かれて、全世界に福音が広がっていった有様に驚愕して、共に働かれる主を賛美し、栄光をおかえししたいと、ほとばしる思いの中で記されたものなのです。まさに、神の国の働きに加えていただくために、世界伝道の幻を共有するために、小さなことよりはじめていくことの大切さを学びたいと願うのです。