聖書 マルコの福音書 11章15~19節
エルサレムに入城し、神殿の境内を見て回った翌日に、主イエスは、神殿の中で、売り買いしている人々を追い出し、両替人の台や、鳩を売る腰掛けを倒した。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。と、聖書は記します。実際に、前日に下見をした上で、この行動が行われたことを見るとき、主イエスの深い悲しみと怒りに触れるのです。弱く痛んだ人々にかけよって行く愛に満ちた方だからこその行動とも言えるでしょう。この時代の神殿が象徴される宗教は、まさに支配的な社会秩序を、正当なものとするために用いられ、そこでは、まさに「王は神の子」と、語られていたのでした。
主イエスは、「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。」と、神殿の中にある異邦人の庭に立ち、神の国は、在留異国人、みなしご、やもめを虐げることのないすべての民の祈りの場所になることを語りました。また、「あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」と、エレミヤの預言を用いて、ローマ帝国と大祭司との癒着構造を、批判するのでした。 この場面の前後に記された実のならないいちじく、すなわちイスラエルが、枯れてしまう象徴からも、宗教の持つ危うさを、現代の教会も受け止めていかなくてはいけないのでしょう。
わたしたちは、先週の信徒会で、「教会の使命」(ミッションステートメント)を、完成し、4月の定期総会に提案することができることになりました。 2012年7月に第一回が行われ、共に協議し合い、分かち合うために、何回も信徒会が行われました。教会員それぞれが、時間を割いて話し合ったことが、本当に素晴らしいことだと思うのです。 教会とは、建物ではありません。それぞれに集められた人々がつくり出す共同体なのです。キリストを頭とし、与えられた使命を確認しつつ、世に仕えていくことのできる教会であり続けたいと願うのです。