漂流の中で 2014年2月16日 主日礼拝

聖書 使徒の働き 27章21~26節

いよいよ、パウロは、他の囚人たちと一緒に、イタリアへ護送される船に乗って出発することになります。使徒の働きの著者ルカは、このとき、再び「私たち」という書き方で、一緒に同行して、その船に乗ったことを記します。エペソの大騒動で、捕らえられたアリスタルコに代表されるように、パウロと同じ信仰を言い表す弟子たちが同行していたことも推測される場面です。パウロの一大事を知り、多くの信仰を同じくする人々が、自らの意思で、この旅に参加していったのでしょう。

しかし、季節は、冬に向かっており、パウロは、「この航海は、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶ。」と忠告しますが、百人隊長は、専門家の航海士や船長のほうを信用し、穏やかな南風の中で、錨を上げて出発するのでした。天候は、変わり、北東の暴風が吹き降ろし、船は巻き込まれて、吹き流されるままとなっていきます。激しい暴風に翻弄され、積荷も、船具も投げ捨てて航海は続き、助かる最後の望みも絶たれようとしていたといいます。

乗船した人々は、荒れ狂う暴風の中で、食事もとることもできないまま、恐れと不安の中で、行くべき先を見失ったまま、幾日も過ごすことになっていったのです。そのとき、パウロは人々の中に立って、「元気を出しなさい。船は失っても、あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。」と、神から告げられた希望を語っていくのです。さらに、「神は、この船に乗っている全ての人々を、私に任されているのです。ですから、元気を出しましょう。」と、声をかけ、励ましていったのでした。

この人々が、この言葉を、希望の言葉として受け入れていくには、一緒に乗り込んだ弟子たちの働きが大きく影響していたに違いないのです。私たちもまた、恐れと不安になった人々が、たった一人の牧師の言葉だけでなく、一緒に寄り添う人々の存在によって、希望の言葉を受け入れることを知るのです。