続きを生きる  2014年2月23日 主日礼拝

聖書 使徒の働き 28章23~31節

ローマに到着したパウロは、監視付きでも、自分だけの家に住むことが許されたといいます。彼は、ローマに住むユダヤ人のおもだった人々を呼び集めて、ローマへと護送された理由を語り、またその人々に神の国をあかししたのでした。モーセの律法と預言者たちの書によって指し示された主イエスの出来事を語っていったのでした。

主イエスを語るパウロの言葉は、聞く人々に分裂を起こし、お互いの意見が一致しない状況を招いていきます。彼らの背中に向かって、パウロは、預言者イザヤの言葉を引用し、その鈍い心、遠い耳、閉じられた目は、いつの世にも存在することを語るのです。

ですから、承知しておいてください。神の救いは、異邦人に送られました。彼らは耳を傾けるでしょう(使徒28:28)と、すべての民族に開かれた、新しい神の国を語るパウロの言葉は、時を超えて、現代の私たちへと届けられた福音の広がりを感じさせます。

使徒の働きは、パウロが、訪ねてくる人々をすべて迎え、大胆に、少しも妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。という言葉で終わっていきます。パウロの生涯の終わりを語るのでもなく、ローマにある教会が、皇帝によって恐ろしいほどの迫害を受けたことも語られません。未完成の書ともいわれるほどに、続きを書く事ができない状況が襲ったことも考えられます。 しかし、振り返るときに、使徒の働きの中に、多くの民族の人々が、主の御言葉に出会い、心を開いて受け入れていく有様を見続けてきたことを思うのです。まさに、聖霊の風に吹かれて、持ち運ばれた人々が、神の先だった導きの中で、出会いが起こされていったことを、知ることができたとも言えるのではないでしょうか? 伝道の難しい時代と言われますが、この世の妨害、迫害、さらに私たちの分裂や不一致を超えて、福音は確かに、宣べ伝えられていることに、希望をいただいていきたいと思うのです。