聖書の示すとおり  2013年4月21日 巻頭言

聖書 コリント人への手紙 第一 15章1~11節

最も大切なこととして伝えたのは、キリストは、聖書の示すとおり、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと。そして、主だった弟子たちに現れ、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも現れてくださった。と、パウロは、語るのです。

月足らずで生まれた者と同様と自分を表現するのは、復活のイエス様に声をかけられるまで、キリストを信じる人々を、熱心に迫害し続いていたことを、痛みと、悔い改めの中で、いつも思い出していたからに違いないのでしょう。こんな自分であっても、主は、自ら声をかけ、出会おうとしてくださった。こんなに熱心に迫害していた自分を、キリストを信じる人々は、切り捨てずに、受け入れてくれた。その驚きと喜びの中にいたからこそ、当時のリーダーであった。ケパ、その他の12弟子、五百人の兄弟、ヤコブ、使徒全部と並べながら、その最後に、自分をも並べていった。復活のイエス様が出会ってくださったことには変わりがない。そう、どんな人であっても、主が出会おうとしてくださることを、何とかして分かってほしい。どんなに、そのことが、大きな神様のご計画であり、どんな人も、神様にとって極めて大切な人であることを、パウロは思いを込めて手紙に書き記すのです。

そして、その教えは、全て「聖書に示すとおり」だった。律法の中に、イエス様が、この世に来てくださることが、指し示めされていた。預言者の言葉の中に、神様は、主イエス・キリストの生涯と十字架と復活の出来事を、示しておられた。 パウロにとって、聖書を新しく見出すこと、ワクワクする出来事であったにちがいないのです。パウロの信仰は、決して聖書から離れることはなかった。パウロの生活のよりどころは、聖書だった。 それが、主イエス・キリストに出会ったことによって、さらに豊かな新しい聖書との出会いとなった。だからこそ、パウロは、言葉を重ね、「聖書の示すとおり」と書き記すのです。