証人とされる  2014年1月5日 主日礼拝

聖書 使徒の働き 22章6~16節

使徒パウロは、千人隊長の許可を得て、自分自身が主に出会った出来事を語ります。突然のまばゆい光に照らされて、「サウロ。サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞き、彼の応答の言葉は「主よ。あなたはどなたですか?」という質問でありました。また「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ」という言葉に対しても、「主よ。わたしはどうしたらよいのでしょうか?」と尋ねるのです。

予想もできない事件に巻き込まれた時、どんな対応をしようとするのか?は、その人が抱えてきた考え方や、生き方によって大きく影響されていくのだと思うのです。自分の持っている能力や判断力を総動員して、この事件を解決しようとすることの多い私たちにとって、このパウロの応答は意外に思えるほどに従順に問いかけ、尋ねていくのです。

視力を失ったパウロに、解決の道を示したのは、縛って投獄しようとしていたナザレのイエスを信じる人々の一人、アナニヤでありました。 彼は、「見えるようになりなさい。」「私たちの父祖の神は、あなたに御心を知らせ、御声を聞かせようとお定めになった。」と語ります。そして、「あなたは、すべての人に対して、証人とされるのです。」と続けるのです。その時、アナニヤも、パウロも、自分たちが考えている「すべての人」と、主が計画されている「すべての人」に、計り知れない程の違いがあることに気づいてもいなかったのでした。しかし、主の計画は、どの地においても証人とされる人を起し、全世界へと広がっていることを、振り返ってパウロは語るのです。

新しい年を迎え、私たちは、新しい歩みを思い描き、それぞれに自分自身の計画を考えていきます。しかし、振り返って過ぎた日々を見るときに、自分では予想もしなかった事件や、出来事を思い浮かべるのです。主に問いかけ、主に尋ねるときこそ、主の計画に従う者とされ、証人として生きる道が示されていくのでしょう。