証人として生きる  2013年5月12日 巻頭言

聖書 使徒の働き1章3‐9節

復活したイエス様は、自分が生きていることを、使徒たちに多くの証拠をもって示されました。ご自身の手と足をお見せになって「触って肉や骨があることを確かめなさい。」と声をかけ、彼らの前で、わざわざ焼いた魚を食べて見せられました。何とかして、肉のある体で生きていることを信じることができるようにと働きかけられたのです。

また、いままで使徒たちが、子どもの頃から覚えてきた聖書(モーセの律法、預言書、詩篇)の中に、イエスご自身が来るべきメシア、すなわちキリストとして、この世に来ることが、すでに記されていることを教えられたのでした。さらに苦難にあわれて死ぬこと、三日目に死者の中より復活することが、成就され、今、まさに目の前に立っていることを悟らせようとされたのでした。

しかし、使徒たちは、この世のイスラエルの国の立て直しを期待していました。まだまだイエス様が、語られた神の国についてのはじまりは理解できない状況だったのです。それでも、イエス様から命じられた「父の約束」、すなわち聖霊によって、力をうける時を待ち続けたのでした。どんなに迫害の中にあっても、この約束をたよりにして忍耐強く、不安定な生活を過ごし続けたのでした。

今年度のCSスタディツアーに、多くの方々と、黒島に出かけていくことができました。約250年もの間の禁教の時代、潜伏キリスタンの子孫が、離島部へと移住し、迫害を逃れ、既存の集落に遠慮して村はずれの荒地を耕し、小さな共同体で、宣教師に教えられた教えを守り続けたことを学びました。キリシタン禁制が撤廃され、信教の自由を手に入れた信徒たちの喜び、失った時間を取り戻すように、一人一人がレンガを焼いて積み上げて作られた堂々とした天主堂を見学することができました。

まず、主が、あなたの信仰がなくならないようにと祈り続けてくださることを感じ、聖霊によって、力を受けるとき、待ち望む者へと変えられていくのです。証人として生きるとは、まさに再び来てくださる主を待ち望む人として、どのような状況であっても喜びの中に生きることなのでしょう。