ルカによる福音書 1 章 46 – 55 節
11月30日からアドベントに入り、いよいよ今日、クリスマス礼拝の日を迎えることができました。旧約聖書のイザヤ書には、イエス・キリストが生まれること、その目的、そして生涯の結末までもがはっきりと記されています。イザヤ書7章14節や9章6〜7節には誕生の預言があり、53章4〜12節にはキリストの受難が記されています。これらはイエス・キリストが誕生される約700年前に語られたものです。その預言が、ついに実現へと動き出しました。
そのために、神はガリラヤのナザレに住んでいた処女マリアのもとに、み使いガブリエルを遣わされました。マリアはまだヨセフと婚約中でしたが、突然現れた御使いは3つのことを告げました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」という祝福の言葉です。戸惑うマリアに、み使いはさらに続けて語ります。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
これを聞いたマリアは、「どうして、そんなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。」と精一杯の疑問を口にします。するとみ使いは、「聖霊があなたのに降り、いと高き方の力があなたを覆う。」と答え、生まれる子が「聖なる者、神の子」と呼ばれることを教えました。また、親類のエリザベツが年老いているにもかかわらず身ごもっていることを示し、最後に「神にできないことは何一つない。」と語りました。
マリアはその言葉を信仰をもって受け入れ、「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」と答えました。常識では理解できない出来事ですが、神の言葉を素直に受け止めるとき、不可能を可能にされる神の導きを体験できるのです。その後マリアは、エリザベツとの交わりを通して、自分が「主を宿す母」とされていることを深く理解していきました。エリザベツは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」とマリアの信仰を称えています。そしてマリアは、あふれる喜びと感謝をもって神を賛美せずにはいられませんでした。それがルカ1章46〜55節の「マリアの賛歌」です。マリアは次のように歌います。
「この卑しい仕え女に目を留めてくださったからです。」「力ある方が私に大いなることをしてくださったからです。」50節では主のご性質のすばらしさが語られ、54〜55節では、神が歴史を通してイスラエルを助け、アブラハムへの約束を決して忘れずに守ってこられたことを賛美しています。ガラテヤ3章16節が示すように、「アブラハムの子孫」とは多数ではなく一人を指す言葉であり、それはキリストのことです。
マリアは、自分がその約束の成就の働き手とされていることを歌っているのです。イエス・キリストが来てくださった目的は、私たちの罪を赦すためでした。ピリピ2章6〜8節が語るように、キリストは神であられるにもかかわらずご自分を低くし、人となり、十字架の死にまで従われました。その犠牲によって私たちは今、罪の赦しと永遠の命を与えられています。この救いは、万軍の主の熱心によって成し遂げられました。この恵みを覚えながら、ただただ神に感謝と賛美をお捧げします。
