聖書 ルカによる福音書 10章17-20節
主イエスが派遣した72人は、喜んで帰ってきました。もちろん主イエスが派遣する前に語られたように、迎え入れない町々もあったことでしょう。しかし、どんな状況であっても、主イエスの所、すなわち共同体に全員が戻ってきたことが喜びの出来事なのです。
「主よ、お名前を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します」と、誇らしく弟子たちは語ります。悪霊とは、人間を貶め、その人間性と尊厳を奪っていく力です。彼らにとって最も喜ぶべきことは、神と人が分離し、それによって人と人が和解できなくなっていくことです。神の御子イエス・キリストから与えられた権威は、その力に打ち勝ち、神と人との麗しい関係性を取り戻していくことができるものでした。しかし、主イエスは与えられた権威よりも喜ぶべきことをお示しになっていくのです。
主エジプトのモーセも「いのちの書」について語るように、イスラエルの民にとって、その書に自分の名前が記されているか否かは大きな問題でした。その原型をイザヤ書、エゼキエル書、さらにダニエル書などの預言者に見出すことができます。さらに裁きの時には、その書に記された名前こそが重要な意味を持つようになっていると考えられてきました。その書から名前が消されてしまうのは、それぞれの罪によると言われてきました。主イエスが派遣した弟子たちが、福音を語り神の国を具体的に示していくことこそが、まさに「いのちの書」に記されていくことでした。その先にある十字架と復活の出来事を主イエスだけが見据えておられたのです。
コロナ感染がすでに長期化している中で、人々の心を、マイナス思考が覆っているのかもしれません。相次ぐ予定変更によって、計画を立てることさえ、臆病になっている方々に出逢います。このような時にこそ、教会は神の国の希望を語る使命をいただいているのです。わたしたちは、主日礼拝ごとの派遣の祈りによって、この世の派遣されていることを覚えていきたいものです。