2022年10月9日 主日礼拝 神の国の福音

聖書 ルカによる福音書 16章14-18節

「財産を無駄遣いして帰ってきた息子を喜びむかえる父親」そして「主人の財産を無駄遣いした管理人」のたとえ話を聞いたファリサイ派の人々は、主イエスをあざ笑ったといいます。彼らにとって「富、金」は、神様からの祝福のしるしであり、無駄遣いする側が罰せられなくてはならないと思っていたのです。そして当然自分たちは律法に従い正しい生き方をして、神に祝福を与えられるべき側にいると信じていたのです。この主イエスのたとえ話は、いかに神が人間を愛し、捜し出し、貧しさや不具合で痛む人々と共にいたかを知らないと真意を受け止めることは難しい話です。

主イエスは「あなたがたは、人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ(16:15)」と言われるのでした。人間が考える「正しさ」は、限定された範囲でしか通用しないし、「正しさ」で救われたり、笑顔になったりする人もいません。一方「富」に仕える人々の間では、惜しみない愛や、底抜けの気前良さは、馬鹿げたことだったでしょう。

主イエスの生涯は徹底的に神の御心、御旨に従って、人々が厳しい中でも希望を持って生きる道を示し続けられたのでした。「富」を愛する人々には理解されず、排除され、殺されたのでした。 しかし、神が起してくださった復活の主イエスが語る神の国の福音は、永遠に貧しさや体の不具合で厳しい状況におられる人々に希望と笑顔を届けられるものです。

神と人、人と人との関係性を壊し、生き残ろうとする悪霊たちにとって神の国の福音は極めて邪魔な存在であり、神の御子イエス・キリストがこの世に遣わされたことを阻止しようと激しく責め続けています。現代社会においても、その残骸に翻弄され、関係性の破綻、孤立の中におられる方々に、教会は、神の国の福音を届ける使命が与えられているのです。