聖書 ルカによる福音書 12章22-34節 (録音なし)
主イエスは、有り余る富で将来を計画する金持ちの「たとえ話」をされ、群衆から弟子たちに顔をむけられるのでした。そして「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い煩うな」と、言われるのです。主イエスと、その日暮らしをしている弟子たちにとって、日々の生活で何を食べようか、何を着て寒さに耐えるのか?は、切実な問題でした。
ここからの主イエスの言葉は実に美しく、風景が広がってくるような言葉が続きます。烏(カラス)のことを考えてみなさい。野の花がどのように育つのかを考えてみなさい。そして烏を養い、野の花を装ってくださる神を思い、思い悩むな。と、言われるのです。ここには十字架も復活も登場せず、受け入れやすい示唆に富んだ言葉が続きます。しかし、逆に聴く私たちの心の中には、そうは言っても、簡単に思い煩いから解放されることは難しいと思えてしまうような部分かもしれません。
2年にも及ぶコロナ感染が社会を覆っています。思い煩うな。思い悩むな。と言われても将来を見通せる根拠もなしに、どうして楽観的になっていくことができるだろうか?と思うのかもしれません。思い煩いから解放される方法を考えていくと、①なんとかして安心となる材料を自分の力でかき集めていく、②神様にすべて任せて何もしない、そして③神様が必要なものは備えてくださると信じ共同体で分かち合って生きていくことになるように思います。
主イエスのこの箇所の言葉をもう一度辿ってみると、従ってきたあなたがたは優れた者、またあなたがたはなおさらのことと、言われているのです。創造主なる神が人間を愛し、全てを備えてくださる方であることを信頼すれば、自分の将来のための蓄えよりも関係性に目を向けることできるはずと、言われるのです。 思い煩ったとしても寿命をわずかでも延ばすことができない自分を、客観的に受け入れて、今を生きることを求めておられるのです。