2022年3月27日 主日礼拝 束縛からの解放

聖書 ルカによる福音書 13章10-17節

当時のユダヤ社会において、病気あるいは障がいがあることは、悪霊の仕業と考えられ、過去の罪に対する神の罰によるとされていました。さらに、そのような罪人は社会的な共同体からも排除される存在となっていたようです。主イエスたちの主な活動は、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民衆の病気や患いを癒されたことが記されていますが、一番に受け入れられたことは病を癒したことで、最も記述が多くみられます。

主イエスや弟子たちが行った行為は、病というものを宗教の重苦しい支配から解放し、それに伴うユダヤ社会の人間差別の制度や習慣からの自由をも意味していたと考えられるのです。とりわけルカによる福音書には、主イエスが安息日に病の人を癒す場面が何度となく描かれています。本日の聖書箇所でも、会堂で主イエスが、会衆に教えておられるような場面に、18年もの間、病の霊に取りつかれている女性が登場することだけでも、どこか不自然な、策略の背景を感じざるを得ません。

しかし、主イエスは、ご自身からその女を呼び寄せ、「あなたは病から解放された」と、宣言されるのです。それほどまでに、この女性の長い間の身体的、また社会的な束縛の痛みと苦しみをご自身の事のように感じられたからの行動だったのでしょう。一方、会堂長は、病の癒しを安息日に行った律法違反について腹を立てて、別の日に行うべきと主張するのでした。

創造主なる神が戒として安息日を守ることを示されたのは、奴隷として束縛されている人々の命を思い休息を与えることでした。律法として確立し、その背景よりも守り抜くことが重要視されていくと、命の問題ではないものへと変貌してしまうことを思います。 現代に生きるキリスト者は、真の自由を得たものとして規制の概念や習慣からの解放が与えられたはずです。そこに秩序や習慣を求めれば、主イエスが示したものとは違った宗教に変貌する可能性があることを知っていたいと思うのです。