聖書 ルカによる福音書 24章1-12節(録音なし)
女たちは、主イエスが十字架の上で大声で叫び、息を引き取られるのを遠くから見ていたのでした。さらに安息日が始まろうとする短い時間の中で、ヨセフという議員によって遺体が墓に納められる様子を見届けたのでした。彼女たちは、主イエスがガリラヤで神の国を宣べ伝え、福音を告げ知らせる一行の中にいて、主イエスに従ってエルサレムまで旅を続けてきたのでした。当時の女たちは家父長制度の中にしか居場所はなく、男弟子たちが逃げ去って共同体が崩壊してしまった時点で、全てを失ってしまったのでした。
週の初めの日、明け方近く、女たちは準備していた香料をもって墓へ行きます。そこで彼女たちは、石が転がされ、墓の中に主イエスの遺体が見当たらないことに直面するのでした。この場面には、復活の主イエスは登場しません。途方に暮れた女たちに輝く衣を着た人の言葉だけが届けられるのです。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」
「空の墓」の物語は、復活の物理的な証拠というより、証言をどのように信じるのか?にかかってくるのでしょう。女たちは墓の中で聞かされた言葉によって、主イエスの復活を信じ、絶望と悲嘆から向きを変えて、喜びの言葉を携えて最初の証言者となるのでした。ここにはマグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいたほかの女たちと大勢の証言者が記されています。しかし使徒たちは、この話がまるで馬鹿げたことに思われて、女たちの言うことを信じなかったのでした。
女たちがどんなに口々に主イエスの復活を語っても、男たちの中にある教養と常識、さらに言葉の信憑性が疑われ、信じることができなかったのでしょう。現代社会に生きるわたしたちも、とかく証拠を求め、疑うことが多いものです。しかし、「空の墓」から語られた言葉を受け止めるときにこそ、自らが喜びの言葉の証言者として歩みだすことができるのです。