聖書 ルカによる福音書 14章1~6節
聖書では、安息日についての戒めは、出エジプト記と申命記に記されています。しかし、その内容については違った内容となっています。出エジプト記に記された七日目はあなたの神、主の安息日であるから、どのような仕事もしてはならない(20;10)では、創造主なる神が休止、休息されたことから「やめる(シャッパード)」への祝福を現しています。一方、申命記に記されたそうすれば、男女の奴隷も、あなたと同じように休息できる(5:14)では、すべての命ある存在を生産活動から解放することを現わしているのです。
しかし、主イエスがこの世に遣わされたユダヤ社会において、律法を守ることばかりが強調され、その根底に流れている創造主なる神の愛が取り残されてしまった状況になっていたようです。 律法の専門家やファリサイ派の人々にとって、安息日に関する律法は、最も大切なものと考えられ、それを守るかは、神に従うかどうかの分かれ目とも言えることだったのでした。
ルカによる福音書では、安息日に関する律法遵守ついて、主イエスが何度も彼らと対峙する姿が描かれています。「安息日に許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか(6:9)」「安息日であっても、サタンからの束縛から解いてやるべきではないか(13:16)」そして本日の箇所でも「安息日に病気を治すことは許されているのか、いないのか(14:2)」と、主イエスの行動をうかがっている人々に向かい合うのです。
他の箇所が会堂の中で語られたのに対して、この箇所では安息日の食事の席での出来事として描かれています。この箇所に続く「神の食卓」の話と重ねて捕らえるとき、「水腫」を患って苦しんでいる人に病との戦いをやめ、解放してあげることこそ、神の歓ぶ食卓であることが受け止めることができるのです。主イエスは、厳しい人々の注目を知りつつ、緊張感の中で、神の御旨とみ心を実行されたのです。