イザヤ書2章4~5節
ニューヨークの国連本部広場には「イザヤの壁」というモニュメントがあり、本日の聖書箇所が記されています。世界中を巻き込んで多くの尊い命が失われた戦争の反省と平和を希求する願いを持って創立されたものと言います。そこには、武器を持ってではなく対話によって違いを認めつつ協議を重ねることができるという信頼が土台にあったのでした。
預言者イザヤは紀元前8世紀後半ユダ王国が強大なアッシリアに侵略される状況の中で、神の裁きと戒めによって武器を農具に変えて戦うことを学ばない世を示しました。そこには「終わりの日に」という言葉が記されています。当時の人々にとって預言者イザヤの言葉は現実味がなく、聞き入れられることがなかった様子です。私たちを取り巻く社会も、各地で戦争、紛争が勃発して預言者イザヤの時代と何も変わっていないように感じてしまいます。
しかし、主イエスがこの世に遣わされたことで、「終わりの日」の意味について、預言者イザヤの言葉の再解釈が求められていきます。主イエスは「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる(マタイ26:52)」と、徹底的に非暴力を貫かれました。それは何もしない無抵抗とは違い、様々な立場の人々と対話を続けられていました。私たちは主の晩餐式に、マラナタ(主よ。きてください)」と賛美します。主イエスの再臨を待ち望みつつ、途上に生きる私たちがあきらめないで対話への一歩を意識していかなくてはいけないのです。
岩波ジェニスタ「未来をつくるあなたへ」という書籍の中で、国連本部で軍縮担当をされている中満泉氏は、平和にむけて必要なことは対話と勇気と信念という提言を記しています。私たちは、コロナ危機を超えて感染症に対しては、ある面一致して対応することができた経験をもっています。紛争、核兵器、難民、貧困という課題であっても、地球の未来を変えていくために、希望をもって何かできることを信じ考えていきたいと思うのです。