2024年9月15日 主日礼拝 永遠に存続するもの

コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章16-18節

私たちは、「見えないもの」が確かに存在し、その生活に少なからず影響されていることを知っています。
数年前のコロナウイルスの感染症も、東日本大震災によって散らされた放射能も、「見えないもの」として
私たちの生活を脅かしてきました。私たちは研究開発や技術革新によって見えないものを見えるようにして
きた歴史の中に生きています。しかし、これらは一時的であり、終わりがあります。

信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。(ヘブライ人への手紙11:1)

信仰とは、人間の叡智によって「見えるもの」とされないものと言えるでしょう。まさにキリスト者として
生きるとは、この「見えないもの」の存在に目を注ぎ(コリントの信徒への手紙Ⅱ4:18)、「見えるもの」
は必ず一時的なものであることを冷静に受け止めていることなのです。

この箇所では「外なる人」と「内なる人」、また「しばらくの軽い苦難」と「永遠の栄光」とを対比して
「見えないもの」がいかに希望に満ちているかを示しています。私たちの肉体は「外なる人」として、いつ
か朽ちて終わりの来るものであることは、この世に命を与えられた全ての人に与えられた事実です。
一方「内なる人」は、キリストによって与えられた新しく造られた命を生きるものとして日々新たにされて
いるのです。

この世には不合理や不条理が横行し、私たちを闇の世界へと引きずり込もうとしています。抗えない痛みや
苦しみの只中にいると、先を見出すことができない中で、それが一時的であることとは思えなくされていき
ます。その中でどのように生きるかが問われているのです。
「見えないもの」が永遠に存続するとは、ただそれが永久に続いているとは別次元の話です。主イエスを復
活させた神が、私たちに臨んでくださり、共に復活の命に預かることを信じることです。これは、人間の力
でなしえることではなく、聖霊の働きによるものです。そこにこそ、神と共に生きる命が輝いているのです。