2024年9月8日 主日礼拝 御顔を向ける神 張恩榮神学生

創世記32章24-26節

「ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしている
うちに腿の関節がはずれた。」(創世記 32:26)

ヤコブは夜に家族をヤボク川を渡らせた後、「神の顔」という意味を持つペヌエルに一人残り、神
の使いと夜明けまで格闘します。そして神の使いはヤコブに打ち負かすことはできないと考え、
ヤコブの大腿骨を打って股関節を外れさせました。
彼はヤコブを完全に打ち負かすことができたにもかかわらず、ただヤコブの股関節を打ちました。

ヤコブは夜が明けるまで神の使いと格闘して祝福を求めました。そのとき、主は彼の腿の関節を打
ったために彼の中心を回復させました。その日以降、ヤコブは一生足を引きずりながら、ただ神に
頼り、謙虚な生活を送るようになりました。肉体に障害がある場合でも、神はそれを祝福の道とし、
人生を新たに導いてくださると信じています。

主なるイエスは時に、私たちが誇りや欲望、成功に取り憑かれているとき、私たちを謙虚にさせ、
新たな恵みをもたらしてくださることがあります。足を折られたことを逆に喜ぶことで、私たちは
神の愛と恵みをさらに受けることができるのです。主イエスが十字架の苦しみを耐えてくださった
ように、私の苦しみが他の誰かの苦しみを助ける手足となるように祈ります。肉体の痛みを見つめ
ず、その痛みを許された神と目を合わせさせてください。

今後、肉体の苦痛に縛られないことを祈ります。この苦痛を通じて神が私を新しく造り直してくだ
さることを期待しています。神が授けたこの肉体の苦しみを堂々と耐えることができるようにして
ください。この苦しみの中で、私たちには十分な恵みがあるという告白が心の奥から湧き出てくる
ことを願います。 今も私たちの弱さや不完全さに対して、神の愛と慈悲の下、主イエスの十字架
が輝く瞬間でありますように。神の逆説的な恵みに感謝できる日でありますように。