2025年1月19日 主日礼拝 福音を生きる 藤野 慶一郎 師

ヨハネによる福音書  8章12節

世の光であると言われるイエス様が、私たちを暗闇から救い出し、前向きに生きる力、心の支えを与えて下
さいます。自分で頑張って生きていかなければならないのではなくてイエス様は私たちの人生の重荷を共に担
って下さって、私たちを励ましてくださり、一緒に生きてくださいます。

Ⅰ.信じること

心にやすらぎがある生き方をするためには、信じなければなりません。
ところが現代は、「信じるな、信じるな」と毎日言われ、不安な時代となってしまいました。もちろん嘘を信
じてはいけません。しかし、人は信じることなしには生きて行けません。私たちは、私たちを愛してやまない
イエス様を信じることです。

私の伯母の話をします。今から25年程前の出来事です。伯母は乳がんで手術した後、

3年程して肺がんが見つかり、余命半年の宣告を受けてしまいました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命
を得るためである。(ヨハネによる福音書3章16節)」
伯母は素直にイエス様を信じて救われました。
なぜでしょうか。伯母はかつて、ある女からひどい目に遭わされ、伯母は気も狂わんばかりにその女性を憎
んだそうです。人様を憎んではいけないと思いつつも、どうしてもゆるせなかった伯母は気持ちを紛らわすた
めに毎日のようにスナックに通いました。でも気持ちは晴れません。そしてついにある時「あんな女、死んで
しまえばいいのに」と考えてしまったそうです。その瞬間、自分はなんて恐ろしいことを考えるのだろうと自
分で自分に背筋が凍る思いをしたそうです。
その後なんとその女がガンになり、日が経たないうちにほんとうに死んでしまったのでした。伯母は、自分
が「死んでしまえばいいのに」と呪ったためにその人が死んでしまったのではないかと悩み苦しみました。自
分自身の内側から溢れて来るどうにもならない憎しみの物凄さに自分で自分に恐怖し、自分の恐ろしさに打ち
のめされたそうです。
そこで伯母は、自分の母親が尼僧だったこともあり、お寺や神社にさらに熱心に求めました。
「すみません、私は悪い人間なんです。「罪の赦し」という御札はありますか?」
しかしそのような御札はどの寺にも、どの神社にもありません。
伯母はその後、自分が乳がんから肺に転移して余命いくばくもないと知らされた時、「ああ、やっぱり。」
と思ったそうです。当時伯母はまだ六十歳台の半ばくらいでした。
罪深い自分こそ、死んで、絶対に地獄に行かなければならない人間なのだ。地獄とはどんなに恐ろしいこと
が待っているだろうか。ほんとうに毎日毎日死の恐怖にさいなまれていたそうです。
そこにちょうど、牧師である私が自宅に訪ねて来たというのです。
信仰をもって生きるということこそ、人間の絶対の最大問題である「死」から救い出してくれるほんとうの
生命保険です。この保険を信じますか? 信じる人は不安ではなく、魂に平安が来ます。

Ⅱ、信じたら、従うこと。
「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ。」(ヨハネによる福音書8章12節)

聖書のイエス・キリストのことばの通りに従ったら、決して闇の中を歩まない人生、いのちの光を持つ人生

になると聖書が約束しています。