2025年10月12日 主日礼拝 「信じて待つ」田中 敦子 神学生

マタイによる福音書25章1-13節

十人のおとめの物語は、主の再臨を待ち望む者のあり方について、主イエスが弟子たちに教えられた一連のたとえ話のひとつです。おとめたちは、花婿を出迎え、婚礼の宴に向かう時に新郎新婦を道案内するブライドメイドたちでした。花婿がなかなか来ないので、おとめたちは待ちきれずに眠ってしまいます。すると真夜中に「花婿がくるぞ!」と前触れの声。

 

慌てて飛び起き、灯の準備をするのです。賢いおとめ五人は予備の油を用意しており、愚かな五人は用意していませんでした。愚かな五人は「油を分けてください。灯が消えそうです」と頼みましたが、賢い五人は「分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。」と断ります。もしも油を分けたら十人みんなの灯が途中で消えてしまい、花婿を出迎えて花嫁と共に行進する大切な役目が果たせなくなるからです。

 

愚かなおとめたちが油を買いに町に出かけた間に、花婿は到着し賢いおとめたちと花嫁とともに祝宴の会場へと入り、戸が閉められました。町から戻った五人が『ご主人様、ご主人様、開けてください』と頼んだが、『私はお前たちを知らない』と入れてもらえなかった結末です。花婿を信じて待つことができず、自分の判断で「今夜はもう来ないだろう」となすべき備えをせず、肝心な時に役目を果たすことができなかったからでした。

 

イエス様は「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから。」

 

「その日、その時」とは、主が約束された「再臨」の時で花婿とは、再臨の主、主をお迎えするにふさわしく整えられた教会が「花嫁」、私たち信徒がこのおとめたちです。そして「灯」は教会が託されている宣教の働き、「油」は祈りや奉仕、み言葉の学びを通して与えられる聖霊の働きを表します。相浦光教会のミッション・ステートメントは第一項で「礼拝・祈り・聖書の学びを大切にする」とけっして聖霊の「油」を切らさない決意を述べ、第2・第3項では一人一人が身近なところから着実に伝道を進める方針を示し、第4項では、世界に目を向け、平和を作り出す為にできることから取組む姿勢が語られています。花婿なる主は、徒らに時を延ばしておられるのではなく、すべての人々を救い出し御国で共に祝うために、今日も忍耐して、教会と共に働いておられるのです。主ご自身が再臨のその日その時を待ち望んでおられるのだ。だから、主の再臨を信じて待ち望むすべての教会が、希望と喜びをもって宣教の灯をともし続け、平和の主の御業に連なり働くことができるです。