詩篇80編9-20節
旧約聖書はヘブライ語で書かれていますがその原本は存在していません。千年以上にわたり聖書を書き写すことで、人々は聖書を知ることができました。そのため聖書書記は一字一句、正確に聖書を書き写しましたが書き間違いのないように1つの書物ごとに文字数を数えて確認していたそうです。
例えば、モーセ五書全体のヘブライ語の文字数は304,805文字だそうです。書記たちはその膨大な数の文字を一つ一つ忠実に書き写しました。それは大変根気のいる作業でしたが正確に書き写すために様々な工夫がなされていました。その一つが書物の真ん中の文字をすぐわかるようにしたことです。実際、詩編の真ん中の文字は他の文字に比べて少し宙に浮いたように飛び上がって書かれていました。
では詩編のちょうど真ん中の文字は何でしょうか。それは80篇15節の「天から目を注いで御覧ください」の中の「目」です。詩編は聖書全体においても中央に位置しています。ですから詩編の真ん中に「目」があるということは、神が天から地に住むすべての人々に目を注いでおられるという意味があるのです。聖書は「神は愛です」と語ります。神は私たちを愛の目で見守り、すべての災いから遠ざけ、救いの道に導きます。
復活されたイエス・キリストが再び天に上げられた後、120人ほどの弟子たちは皆1つになって祈り、詩編から神の言葉を聞きました。彼らは苦しみを負うメシアであるイエスの姿を詩編に見出していました。初代教会で詩編はキリストの苦難と救いを理解するための書物なのでした。彼らは地の塩、世の光として世の模範になることでキリストの教えを伝え、人々が彼らの立派な行いを見て神を賛美するように導こうとしたのです。
人生には様々なことが起こり、厳しい現実の中でもがき苦しむこともあります。しかし神が共にいると私たちが信じるなら、ハレルヤ!と神を褒め称えることができます。それは「いかに幸いなこと」でしょうか。その時天から目を注いでくださる神も「いかに幸いなことか」と言われるでしょう。さあ神の御前でハレルヤと声高らかに叫ぼうではありませんか。神は今この時も天から愛の目を注いてくださるですから。
