2026年1月25日 主日礼拝 「出会いに生きる」 奥村 敏夫 師

マルコによる福音書 15 章 21 節

こんな嫌なことがあるだろうか?こんなについていないことがあるだろうか?彼は舌打ちしながら、そう思った。いきなり兵士に引っ張り出されたうえに、血にまみれた薄汚い男の死刑を手伝わされることになろうとは。一緒に旅してきた家族もきっと混乱したり、不安に思っているに違いない。それにしても、このいばらの冠をかぶせられ、横でよろけながら十字架を黙々と負っているこの男はいったい何者だろう?
「悲しみの道」を辿って、二人は刑場に着いた。ゴルゴタの岡の上で起こったすべての事を、彼は一部始終間近に目撃することになった稀有な人物となった。

彼の名はシモン。ありふれた名前である。彼がこの後どうなったか、どんな生涯を送ったか、聖書は詳しく伝えてはいない。しかしこの事実を伝えた福音書記者マルコは、この人物を特定するために、わざわざその出身地と共に二人の息子の名前を挙げ、シモンはその父であることを伝えている。

『マルコによる福音書』は、地元ローマの教会で書かれ、読まれた福音書である。興味深いことに、この息子たちは二人とも、ローマにできたばかりの最初期の教会の執事として知られ、実は彼らの母もその晩年には、迫害の嵐が吹き荒れる中、あの伝道者パウロを命懸けで熱烈に支え続けた筋金入りの伝道者であったことが判っている。

まとめてみよう。あの世界一ツイていない男シモン、望まずしてあのイエスと出会った。その後ほどなく、彼と彼の妻、そして二人の息子たちは熱心なキリスト教徒となっていった。恐らくはこのシモンにとって忌まわしい出会いが、自分とその家族の生涯を全く変えてしまった決定的な出来事になったに違いない。

イエスとの出会い――それは様々な形があり、ほとんどそれと気づかないことすらある。しかしもしそれが本物であれば、大きな喜びの変化が私たちにも与えられるに違いない。