2021年5月30日 主日礼拝  心構え    田代秀武

聖書:ペトロの手紙一 4章1-2節

私達の人生において多くの事を主イエスキリストを通して学ぶことの大切さを痛感します。ペテロの手紙第一4章1節で「キリストは肉において苦しみをおうけになった」とあります。主イエスには、明らかな使命がおありになる為に、自分の苦しみを誇りともせずただ謙遜に苦しみを受け入れられました。一方私たちの苦しみは、主イエスの苦しみとは違ったところがあります。私達の苦しみは偶然に与えられたものではなく、主イエスが受けられた苦しみを思い、その苦しみをへりくだって受けることで主イエスと共に苦しむという体験ができるのではないでしょうか。

更に、ペテロはその2節で「もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。」とあります。 私達のそれぞれの人生の生涯という事に思いを馳せた時に、私達は確かに誰かの犠牲の上に成り立っていることに気づきます。それに気づかないと、本当に生きているとは言えないのではないかと問われているように思います。気づかないうちに受けた犠牲も沢山あるのでしょう。ここで自分が誰の世話にもならずに生きていると思っているとしたら、非常に傲慢な事でもあります。それは自分が神によって生かされていることを、今迄生きてきた生活の中で、肌で感じる取る事だと思います。

最後に1節にもどりますが、「あなた方も同じ心構えで武装しなさい」とあります。

自分がキリストによって生きている事も神によって生かされている事も、日常の雑事の中でなかなか心に留置くことの少ないもので有りますが、ペテロの手紙は、あなたがたも主イエスと同じ「覚悟で、思いで、心構え」で武装しなさいと言うのです。まさに主の晩餐式にあずかることは主イエスの苦しみに預る事でもあり、それによって私たちは武装するのでありましょう。そして私達の残りの生涯について、新しい希望と喜びとを与えられることを喜び感謝し過ごしたいもので有ります。